読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Teraimachi

0901_独り言が怖い

綺麗さっぱりブログの存在を忘れてた。

無理してもどうせ続かないだろうし、思い立ったときに思い立ったことを思い立ったように書こうというゆるい気持ちで始めたはいいけど、3ヶ月は流石に間が空きすぎだった。せっかく思い出したのでがんばって週1くらいでやっていきたい。

 

独り言を言う人間がけっこう怖い。

うるさいとかむかつくとか、そういう反発ではなくて、単純に不気味に感じる。

なぜそう感じるのかについて考えてみたけど、たぶん「素のままの感情」みたいなものに対して気持ち悪さを覚えてるんじゃないかなあと予測をつけた。

感情の表明って、基本的にはコミュニケーションの手段というか、道具みたいなものだと思う。誰かの言動に「嬉しい(ような反応をする)」とか「怒る(ような反応をする)」ことで、自分がその相手とどういうふうにコミュニケーションを進めていきたいのか、その相手の言動をどういうふうに捉えたのか、そういうことを暗に伝える。真意はどうあれ、そのとき表明した感情こそが、コミュニケーションにおけるその人の意思になる。もちろんその表し方が下手だったら、自分が想定した通りの意思を伝えられないか、あるいは真意とは別の感情を表明していると捉えられることになる。

社会的な場(というか、他者と接する場)での感情の表明はかなり儀礼的な意味を持つ。多くの人間の中である程度共有されている「こうしたらこう思われるだろう」っていう前提を元に、コミュニケーションを円滑に流すための道具。

「感情の表明」と「感情」は違う。「こういう意図であると伝えたい」「こういうふうに考えてると思われたい」を地盤にして、それらを表に出してみせる行為と、たとえば音楽や創作物、綺麗な景色やらを見て内に何かを感じるような現象は、なんとなく違う気がする。

意識してではないけど、どうやらそういうふうに考えていたみたいなので、それらが何の意図もなしに一緒くたに表出しているのを見ると自分は混乱するんだと思う。ここで独り言の話に戻る。

不特定多数の多者がいる場所で突然、断続的に独り言を言う人が若干怖いし不思議だった。なんでこの人は唐突に意図を持つでも装飾したわけでもない言葉を他者がいる場所で発しているのか。その場にいる誰かに何かを伝えたいのか?独り言を言うことによって「思われたい自分」があるのか?

たぶん違う。独り言の多くは無意識で、単なる癖か、あるいは精神安定のためのものらしい。精神安定というのは、典型的なものでいえばストレスを言葉として発散したり、行う予定の作業を口に出すことで確認して、自分に再認識させたりといったことらしい。子供が一人遊びのときに大人の気を引くために言うようなわざとらしい独り言とは違って、素のままの感情を吐き出すことで安心するための作業。

つまり僕は、誰かに示すためでもない素のままの感情が、受け取り手不在のままその場に放り出されることに不気味さを覚えていたんじゃないかと思う。とはいってもこれは「他人の迷惑を考えろ」とか「公共の場でどうなの?」みたいな話じゃなくて、もっとシンプルな、自分の理解の及ばない存在への純粋な畏怖みたいな…そんな気持ちなので、一方で興味も湧いてしまう。怖いもの見たさである。

24にもなってこんなことを改まって言い出すのは自分でもグロいなと思うんだけど、そもそも僕はいわゆる感情表現があまり得意ではない。特に他者が介在する場では、ある感情がその場や他者にとってどういう意味を持つのかと考えてしまって身動きが制限されることが多い。だから、他者に対する手段としての感情の表明でもなく、一人でいるときに他者の存在を介さず扱える感情表出現象でもなく、ごく自然な姿でぽろっと感情を放り出すことができるそのさまが異様に思えるし、目を引かれてしまう。そういう人は生まれつき感受性が強かったり、感情が人より大きいのだと思う。

つまり、僕は感情が大きい人が受け入れ難いと同時に、羨ましい。そういうことらしかった。いやもちろん人並みの感情はあるし、2016年にもなって無感情無感動マウントチキチキ暗黒微笑レースをしたいわけでもなくて、感情を感情としてありのまま扱える時間が多い人は、そのぶん人生も楽しいだろうなと思うわけ。

楽しい人生を送りたい。近頃こればかりを考えているせいで全ての思考の帰り道が「楽しい人生を送りたい」に集約されてしまっている気がする。

 

久しぶりにまとまった長さの文章を書いた。本も読まず、文章も書かず活字に一切触れない生活を続けていると日本語能力が減りまくってるのを如実に実感して、うへ~という気持ちになる。文章上の何かに気を遣う余裕がなく、文章にするだけで精一杯って感じだし、書いてるうちに何がなんだかわからなくなってくる。これ本当に母国語か?

そういえば一人称をどうしてたっけ、と前回の日記を見返したら、5月の僕はMCバトルにハマったことを書こうとしていたらしかった(一人称は僕だった)。ので、次こそはMCバトルのことか、もしくはせっかく卒業が決まったので、長かった大学生活のことを書こうと思う。